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「米百俵の精神」の地  06.10.24

今日は一日中冷たい氷雨が降り続いていて、室内で孫たちと仲良くしていました。
その中で考えた今日の話題です。

小泉前首相が就任時に唱えた「米百俵の精神」の由来となった地が長岡藩であることを知っている人でも、米百俵を贈ったのがここ旧巻町にあった「三根山藩」であったことを知っている人は少ないのではないでしょうか。

この地に立ってみて、幕末6000石の小支藩であった「三根山藩」が新田開発によって1,1000石の小大名に昇格したいきさつを実感することができました。


「米百俵の精神」(Wikipediaより)
戊辰戦争で敗れた長岡藩は7万4000石から2万4000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。

藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
と諭し、自らの政策を押しきった。

この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であった。また、この学校は士族によって建てられた学校であるが、一定の学力に達した庶民の入学も許可された。洋学局と医学局が設置され、洋学局が現在の長岡市立阪之上小学校と新潟県立長岡高等学校、医学局が長岡市内にある長岡赤十字病院とその付属の看護学校が後進となっている。

この物語は「米百俵の精神」という言葉になり、小泉純一郎(内閣総理大臣)による所信表明演説で引用されて有名になり、2001年の流行語になった。(以上)



長い引用になりましたが、精神そのものは今の時代でも通用するものだと思います。
が、具体的に、安倍新首相の提唱する教育改革となるといかがわしくなるのは何故でしょう。
by higirinikki | 2006-10-24 20:55 | おでかけ
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